2006年 06月 21日
躾と訓練 犬の本質 5 <犬の本質は変わらない>
あと3年くらい預けたい心境である(おい)。
半年預けて毎日毎日、躾、訓練を入れてもらって、私も時々は通って一緒に練習したりしていて、やっぱり感じたこと。
「犬の本質は変わらない」。
たもんに限ってではないと思う。どんな犬もきっと核となる本質は変わらないのだと感じる。それは人も含める他の動物も同じだろう。
たもんは、訓練性能は良い。訓練所での行動や、訓練以外の小さい行動を見ていても、抜群に頭が良いと思う。ヤツに対しては、「可愛いたもちん!」という感情が私には残念ながらまったくないので、比較的客観的にたもんという犬を見られていると思うが、やはり賢い。怖いくらい賢いと思う時も多い。
彼のポテンシャルについて、私はいまだかつて一度も疑ったことはない。最初から賢いと思っていたし、訓練所においては馬脚を露すようなドンくさいことも一度もしなかった。
私はヨソの訓練所を知らないので、堀さんの訓練所限定でものを言うが、訓練所とは、条件づけをしっかり入れてもらう場所であると思う。
条件づけは「躾」から始まり、次の「訓練」へのステップとなる。訓練でも用いられ、その条件づけが確固たるものになれば、誰が扱っても犬は同じように動くというものだ(*注 正しく扱えれば、という意味)。
私は訓練というもの自体が条件づけであるように感じてならない。ただ、高等訓練においては、各々の犬の気質や素質も大きく関係してくる。
堀さんの所で例えると、「排泄」。
排泄は自然の行為であるので、堀さんの所では、排泄するであろう場所まで連れて行き、「はい、どうぞ」と犬に自由を与える。
犬は自分の好みの排泄場所に行き、心ゆくまで排泄。
そのとき人は、ただじっとその場に立っているだけ。
排泄を終えた犬が勝手に戻ってきて、さっさと横について座る(脚側停座)。
そしてまだ歩き出す(移動)。
移動する群れにおいて、排泄をしたい犬は離れた場所に移動し、排泄が終わったらリーダーの待つ群れへと戻るという、「生得的行動」と、戻ってきたときに横につく、という「条件づけ」。
上記の基本となる、「脚側」。
「アトヘ」のコマンドとともに、犬はくるりと体を回して横につく。これも条件づけの一つだ。
コマンド「アトヘ」を使うまでに、人と犬とが一体となる「オペランド条件づけ」を徹底して行うことで、「アトヘ」というコマンドがさらに強化される。
そういう一つ一つをゆるぎない状態に持っていってくれるのが訓練所であると感じる。
通いでももちろん同じことが出来るが、「やる人のポテンシャル」が関係してくるので、プロが徹底して毎日やるほうが早い。ただそれだけだと思う。
そういうことをみっちり仕込んでもらったこの半年間。
どれだけ訓練は優秀にやっていても、たもんという犬自身はまったく、微塵も変わらなかった。
リーダー気質な犬なのも変わらない。気が強いのも変わらない。素直なのも変わらない。ちんちん出すのも変わらない(涙)。
それはそういう学習的条件づけとは全く次元を異とするもので、本質とはその犬の「核たる魂」のようなものだと思う。
ちゃんと入れてもらった条件づけを、彼が素直に私に見せるかどうかは、一重に私の態度にかかってくる。
特に、彼は行動の一つ一つ、本当に些細な一つ一つにおいて、全てを私に試す。
その一つ一つにこちらがアドバンテージを持ってして応えないと、次に彼はまたグッとこちらに踏み込んでくる。あまりにも細かすぎてイヤになるほどだ。
「いちいち君」と私が呼ぶのもそういう意味だ。
先日、クイズ形式で面白おかしくブログに書いた事は実際事実だし、一つでも落とすと彼はたちまち「ボクの勝ち」と思う。
たとえば「脚側停座」。
「アトヘ」とコマンドをかける。たもんが体を回して横に来る。
でも斜めに座る。
もう一度「アトヘ」。今度もまた少し斜めに座る。私が少し前に出ながら「アトヘ」。後ろに座る。また「アトヘ」。次も斜めに座る。もう一度移動しながら「アトヘ」。今度はようやく真っ直ぐに座る。やらないときはこの10倍くらい「アトヘ」を繰り返す。アトヘ星人みたいだ。
ここまでしなくてはいけないのだ。
この段階のどの過程でも「まあ、これでいいか」と許してしまうと、彼の勝ち。
「アトヘ」だけでも、イヤというほどやらなくてはならない。
その間にも勝手に伏せたり、横を向いたり。
先日は、少し斜めになっていても、彼がやろうとする気持ちだけで合格だった(*彼が、ではなく、私が。彼はきちんと出来るのだから。それを部下の態度として私に見せようかと思う気持ちの問題なのだ)。
現段階ではそれをさらに精度を増し、きちんと出来るまでしなくてはいけない。家に戻ってきてからも、事あるごとにこれを繰り返すように言われている。
でもそれを最後まできちんとやると、「お母さんもやるじゃん。仕方ないちゃんとするよ。」と思うので、ちゃんとするようになるのだ。これが心からの「服従」。
これを繰り返すと、コマンド一発きちんと横につくようになる。一つでも落とすと、今度はもっとしなくなるのだ。
イライラしたらこちらが負けである。淡々と、ひたすら淡々とアドバンテージを取っていくしかないのだ。イヤになるけど、そういう犬なのだから仕方ない。
いかに条件付けされていようが、訓練が入っていようが、家に戻って私たちがいい加減なことをしていると、こういう犬はあっという間に自発的回復を起こしてしまう。
一つも間違わないこと。
一つも譲らないこと。
愛情を一杯持って、お母さん犬の心で淡々と、そして毅然とやり続けること。
彼が「お母さん、こうなの?これでいいの?」と自らアイコンタクトを取ってくる日まで。
「お母さんの言うことはちゃんと聞くよ。」と素直に従うまで。
「ダメだよ」という一言で、我慢する気持ちになるまで。
それが彼が死ぬまでだとしても、続けなくてはいけない。
本質は死ぬまで変わらないのだから。